晴れた日には
昔、アルバイトニュースか何かのコマーシャルで、椎名誠さんが「犬洗い1匹100円」と言いながら木製の盥で犬を洗っていたが、今日は、あまりに天気が良いので、我家の愛犬を洗った。

こんな天気の良い日は、西脇順三郎の詩が懐かしい。
(覆された宝石)のような朝
何人(なんびと)か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日
これは、天気というタイトルの詩。
今日の日にピッタリの歌だ。
moon:12.0十三夜昔、アルバイトニュースか何かのコマーシャルで、椎名誠さんが「犬洗い1匹100円」と言いながら木製の盥で犬を洗っていたが、今日は、あまりに天気が良いので、我家の愛犬を洗った。

こんな天気の良い日は、西脇順三郎の詩が懐かしい。
(覆された宝石)のような朝
何人(なんびと)か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日
これは、天気というタイトルの詩。
今日の日にピッタリの歌だ。
moon:4.1五日月小林秀雄の言葉を年代順に集めた本が出版された。新書で756円と求めやすく、嬉しくなって買ってしまった。
やはり小林秀雄は面白い。すべての言葉が理解出来ることもないけれど、読んでいるだけで心地がよい。
分からないものを、分からないまま読む快楽がある。
格言集のようなものなので、どこから読んでも良いし、どこで終わっても良い。
ふっとした気分転換にページをめくったりする。日本で初めて「批評」という地平を開拓しただけのことはあって、一つずつの言葉に、芯が通っていて、その言葉には、覚悟のようなものを感じる。
やはり小林秀雄はいいな。この方の講演を記録したテープを聴いていると、学問をする人間の精神と志の高さを直接肌に感じることが出来る。もうこのよう存在の人間は生まれてこないかもしれない。
しかしこの本を小林秀雄が知ったら、きっと、怒るだろなと思う。
「ぼくの考えの断片を寄せ集めてもぼくの考えを知ったことにはなりませんよ。短い文章でもいいから、きっちりと読み込んで、そしてぼくという人間に触れて欲しい・・・・・」というような小言が聞こえてきそうで、それもまた楽しい。
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moon:26.0二十七日月吉野には素晴らしい紙漉の技がある。
先日ある切っ掛けで、手漉き和紙の伝承者、福西弘行さん(福西和紙本舗)とお会いする機会に恵まれた。
私はこの方とお会いして、伝統を守り、伝承する方の本当の姿を教えられた。
最高の和紙を作るためには、徹底的に細部にこだわる。
これは、伝統を守るためにではなく、最高のものを作るために必要なことで、
「伝統にこだわるから良いものが出来る」のではなく、
「良いものを作るためには、こだわらなければいけない伝統がある」ことが分かる。
そしてなにより私が感動し教えられたのは、福西さんの精神の革新性である。
どの伝統も、伝統と呼ばれる前には革新であったことが理解できる。
革新が伝統になり、また革新が生まれ伝統が作り出される。
伝統は革新を生み出すためのエネルギーであり、革新は伝統の正当な継承者でる。
福西さんとお話しをしていると、伝統を守る者こそ、革新の正当な伝承者であると教えられる。
今の吉野には、伝統を革新に変えるエネルギーが枯渇しているような気がしてならない。
moon:23.5真夜中の月吉野での生活も10年を超えて、桜、盛期の吉野山を初めて訪れた。
普段は人出の多さに圧倒されて、出かけることをためらっていたけれど、今年は意を決しての桜遊。
如意輪寺から見る吉野山は、美しく山が桜で霞んで見える。山に咲く桜は、堤に並ぶ桜よりも美しような気がする。
川の精気と山も精気の違いかもしれない。場所の歴史の違いかもしれない。
しかし、蔵王堂付近は土産物店が軒を並べ、人出も多く、風情を感じるのが少し難しい。
「さまざまな こと思い出す 桜かな」
という芭蕉の句の通り、桜はいつも思い出と共にある。
今年の桜を数年後どのように思い出すのだろうか。
それとも思い出すこともなく、吉野山から逃れるように行った、秋津温泉の少し濁ったお湯を思い出すかもしれない。
moon:16.5立待月川上村で講習の打ち合わせがあり、今年も夏の3ヶ月間、パソコン講習が開催されることになった。
打ち合わせの帰りに、少し早いとは思いながら蜻蛉の滝を訪れた。
歴史に有名な蜻蛉の滝は、公園のようになっていて、枝垂れ桜や様々な桜が植えられている。
ここ数日の冷え込みで開花は遅れるだろう。
この時期、在原業平の
「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
を思いだし、今も昔も春を待つ人の心に変わりはないのだなと感慨に耽ってしまう。
写真は、蜻蛉の滝にある桜の木。つぼみはつぼみでまた美しい。
moon:12.9十三夜私は大阪で生まれ育ったので、花木に囲まれたふるさとを持たない.
大阪の下町の狭い路地を抜けている夢を見ることがある。
いつもの道を歩いていると小さな小川が流れ、岸に黄色い花の咲く優しい風景に出会う。
よく知っているようで、知らない、既視感のある風景だ。
実際には眼にしたことのない風景かもしれないし、早春に東北を旅したときの風景かもしれない。
この夢を見るとき、私は小学生の格好をいていることが多い。
もしかしたら私の原風景かもしれない。
カメラを持って歩いていると、ふっと懐かしいと感じる景色に出会う。
私は住んでいたこともない景色を懐かしいと感じ、シャッターを押す。
陶淵明の「桃花源記」が好きで、この話を読むたびに、一度桃源郷を訪れてみたいと思う。
人はその心の深部に、それぞれの桃源郷を持っているのだろう。
それが時々夢の姿を借りて、少し荒んだ現実を慰めに現れてくれるのかもしれない。
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