2007/7/28 土曜日

友引 投稿時の月齢:13.8  月名:待宵月  潮汐:大潮 moon:13.8待宵月

中増のハス

Filed under: 未分類 — nobu @ 16:40:58

大淀町は、起伏に富んだ地形をしていて、車で走っていても知らない道がたくさんあります。

大淀町の東側に中増という地域があるのですが、ここは、水田や茶畑が広がり、のどかな雰囲気のある、明るく開けた場所です。
田舎ぐらしを考える団塊の世代の方たちには、最適な場所ではないかと思ことがあります。

ここに、ハスを栽培している場所があると聞いたので立ち寄ってみた。

p1010490.jpg

あまりたくさんのハスは咲いていなかったのですが、ちらほらと美しい花を咲かせていました。

いつ頃が見ごろなのか、やはりお盆のころでしょうか?
お盆近くのもう一度訪ねてみようと思います。

 私が好きな詩人、西脇順三郎に「永遠の眠り」という題の詩があります。

永遠の
果てしない野に
夢みる
睡蓮よ
現在に
めざめるな
宝石の限りない
眠りのように

ミケランジェロは、
「眠りは好ましい、けれどもなんにもまして、私は石になりたいと思う。」
という言葉を残しています。

私は、石よりも永遠に眠る睡蓮になりたいと思うとことがあります。
   

2007/7/24 火曜日

仏滅 投稿時の月齢:9.8  月名:十日月  潮汐:長潮 moon:9.8十日月

語ることの楽しさ 聞くことの面白さ

Filed under: 未分類 — nobu @ 15:35:59

7月10日十津川・熊野へ遊びに行き、「熊野出会いの里」へ泊めていただいた。

ここは、本宮町の高台にある見晴らしのいい、民宿であり、農業体験も出来る。

熊野出会いの里

写真は食堂から見える風景。気の流れがいい。

ご主人が楽しい方で、その世界?では有名な「麻野吉男」さんで、ゆっくりと話を聞かせていただいた。

久しぶりに「人の語り」を聞くことが出来た。麻野さんの言葉には想いがあり、伝えようとする熱がある。

 dsc01724_edited-1.jpg

写真は、麻野吉男さんと私。ゆっくりとした空間で話を聞く。私はこの写真に写っている自分が好きだ。
こんなに寛いで人と話している自分を始めて見た。

「熊野出会いの里」は私にとって新しい出会いの場所になった。年に数度は、頭の空気を入れ変えに出かけたい。

「熊野出会いの里」と出会えたのも、新しい繋がりが生まれたのも、すべて私の友人 山本泉 のおかげです。
「泉ありがとう。役ににたってるよ。極楽で見てるだけではないね」

2007/7/23 月曜日

先負 投稿時の月齢:9.0  月名:十日月  潮汐:長潮 moon:9.0十日月

花火

Filed under: 未分類 — nobu @ 20:33:37

土曜日に大淀町の花火大会が開催されました。

我が家の窓から遠くですが、楽しむことが出来ました。

花火の撮影は難しそうですが、デジタルカメラでも簡単に撮影することできます。

花火

きっちりとした花火の写真を撮るには、まず三脚に固定します。

そしてシャッタースピードを長時間露光(1~8秒)くらいで設定して撮影します。
最近のデジカメでしたら、花火モードや夜景モードに設定すると綺麗に撮影できます。

下の写真は、デジカメを夜景モードにして、三脚に付けずにわざとブラした写真です。

花火2

不思議な花火が撮影できます。

2007/7/19 木曜日

大安 投稿時の月齢:4.9  月名:五日月  潮汐:中潮 moon:4.9五日月

従来失せず

Filed under: 未分類 — nobu @ 19:21:34

「従来失せず、なんぞ追尋(ついじん)を用いん」

という言葉が「十牛図」の一番最初にある。

「十牛図」は、牛を探し、見つけ、飼いならすまでを、10枚の絵に現した、禅の教えである。

もちろん、牛とは自己のことである。

自己を求め、発見し、理解し、そして開放する。その流れが分かりやすく説明されている。

私は、この「十牛図」の冒頭の言葉が好きだ。

私たちは何も失っていないのに、いつも何かを捜し求めている.
探しているから見つけなければならない。

私たちは、過不足のない生活に我慢できないのかもしれない。

自分の現実を薄く薄くスライスしていくと、そこには「今」がある。
この「今」はどんな状況でも、充足していると感じることができる。

現実に、過去と未来という不純物がプラスされると、そこに過不足が生まれるようだ。

現実だけを見据えて生きるというのは、とてつもなく難しいことのようだ。

「従来失せず。 」ほんとうにそうだと思う。

何も失っていないのに、私は、いったい何を探しているのだろう。

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ちくま文庫から出ている「十牛図」の本。

2007/7/15 日曜日

先勝 投稿時の月齢:1.1  月名:二日月  潮汐:大潮 moon:1.1二日月

萱簾(かやす)

Filed under: 未分類 — nobu @ 23:26:24

萱でつくられた簾。細く繊細で美しい。

この萱簾は、宇陀手漉き和紙の名人、福西弘行が、紙を漉くときに使う道具である。

この萱簾を作れる職人はもうほとんどいない。

四国にいる職人さんに頼んで特別に作ってもらっている。
この職人さんに後継者はいない。

もしこの萱簾がなくなれば、繊細な和紙が漉けなくなると福西さんが言う。

名人の技を支える名人の技。伝統は連鎖している。
伝統を守ることはアグレッシブで過酷なことだと思う。

しっかりと腰を据えて、覚悟を決めて伝統を語らなければ、美しい国を作ることは出来ない。

萱簾

2007/7/10 火曜日

赤口 投稿時の月齢:25.3  月名:二十六夜  潮汐:若潮 moon:25.3二十六夜

吉野から十津川そして熊野へ

Filed under: 未分類 — nobu @ 19:44:48

友人の招きで久しぶりに熊野へと出かけた。

十津川には、高校時代からの友人がいて、熊野に出来けるときは、まず彼の家で一泊するのが恒例だった。

田舎暮らしの先駆けのような彼の家は、細い吊橋を渡り、狭い里道の起伏を歩いた先にある。
友人は、この土地に自分の力で家を建てた。強い意志と柔らかな感性をもった優しい友人は私の憧れでもあった。

しかし彼は、一昨年の秋に白血病で慌しく逝ってしまった。素敵な恋人を残して。

少し迷っていたけれど、熊野に行く前に、彼の家を訪ねることにした。

吊橋

いつも友人が迎えに来てくれていた吊橋を始めて一人で渡った。

この集落には、もう一軒だけ老夫婦の家がある。
友人がお世話になり、猟から山仕事、畑を教わった人生の先輩が住んでいる。

この老夫婦に挨拶をして、今は主のいない家を訪ねた。
様々なことを思い出しながら、家を眺めた。
私は人生の折々に彼を訪ねた。私が東吉野に移住したのも彼の影響だった。
この場所は、私の未熟な精神のゆりかごのようだ。私はここに自分の精神の成長を確認しにきていたのかもしれない。

老夫婦の家に戻って別れの挨拶をすると、奥さんが黄色いスイカを出して下さった。
全部食べていきなさいといってくれた。

人よりも獣の多いこの土地で、やっと採れた小さなスイカだ。

私は、皿に盛られたスイカを見たとき、胸がいっぱいになってしまった。
泣き出すのをこらえて、スイカをすべて食べた。甘くておいしかった。

この夫婦も後何年、この土地に住むことが出来るだろうか。

田舎ぐらしという言葉には、甘美な響きがある。
しかし友人もこの夫婦も、この土地で田舎暮らしをしていた訳ではない。

彼らは、自然と共棲していたのだ。自然を相手に暮らすことは田舎暮らしとはかけ離れていることを、改めて教えられた。

2007/7/2 月曜日

仏滅 投稿時の月齢:17.4  月名:居待月  潮汐:中潮 moon:17.4居待月

吉野山の紫陽花

Filed under: 未分類 — nobu @ 22:03:46

梅雨の少し早い中休みの日に、吉野山に打ち合わせに出かけた。

吉野山の七曲は、細道の両端に紫陽花の花が咲いていて、雨を待つ佇まいが美しい。

桜の賑わいを終えて、梅雨空に包まれた吉野山の紫陽花に、少し寛ぎ、ホッとした気分になった。

吉野山の紫陽花

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