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	<title>ひなたカフェ　Casa</title>
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	<description>知っていること、知りたいことなど思いつくままに書いています</description>
	<lastBuildDate>Sat, 29 Nov 2008 03:03:42 +0900</lastBuildDate>
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		<title>白い朝</title>
		<description><![CDATA[数日前に暖かい霧の日があった。
朝の散歩道はどこも真っ白で、少し離れて歩くサテの姿も薄ぼんやりとしている。
霧の日は静かで鳥の声もどこか遠くで聞こえる。
澄み切った晴れ渡る日もいいけれど、この優しさに包まれるような霧の日は特別だ。
暖かい静寂と共に歩いていると、微かに太陽がそのシルエットを現し始めた。




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		<title>高取城跡</title>
		<description><![CDATA[昨日みぞれが降った。
今日は冬の日のような晴天で風が冷たく、雲の動きは速く、陽光はとぎれとぎれに降りそそいだ。
車で３０分もかからないところに高取城跡がある。
標高５８３ｍの典型的な城山で、石垣が美しく紅葉に映えていた。


目とこころに沁みる木々の拡がり
重い雲から光りが差し込む。



光りが足元まで届く時、風景が変化する。
視点を足元に落とすと、そこにはいつもの美しさがあった。
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		<title>いつもの道</title>
		<description><![CDATA[いつもの道をいつもの犬達と歩くしあわせ。
しかし少し冷静に考えると「いつも」などないことに気付く。
昨日より今日は確実に死に近く、別れに近い。
そして出会いに近く、誕生に近い。
丁寧に生きるということは、一瞬を生きるということ。
この瞬間の素晴らしさを味わうことが、未来に怯え、過去を悔やむ自分を解き放す。
ゆっくりと眺め、耳を澄まし、感覚にこころを傾ける。
今朝は晴天。光りが満ち溢れている。




いつもの道を歩きながら、いつもの犬達と、いつものように歩けるしあわせを思う。
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		<title>光り降る日</title>
		<description><![CDATA[数日前、冬の前触れのような雲が空を覆った。
その重く厚い雲の隙間から、陽光が溢れている。

光りの降る光景を見ていると、この光りから降り立ち、この光りを登る魂があるような気がした。
昨日、友人が可愛がっていた犬が２匹、寿命を生きてこの世を去っていった。
彼らは光りを登って天に召されたような気がする。
エゴのない無垢な彼らの魂は軽いから、ふわふわと光りを登っていったことでしょう。
でも少しは寄り道をしたかな？
本当に、本当にありがとう。
 
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		<title>碧空の尽きる場所</title>
		<description><![CDATA[
秋は空が高く雲一つない日がある。
李白の詩に
『故人西の方 黄鶴楼を辞し
煙花三月 揚州に下る
孤帆遠影 碧空に尽き
唯見る 長江の天際に流るるを』
というのがある。
秋、雲一つない空を見ていると、いつもこの詩が思い出される。
碧空の尽きる場所とはどんなところだろう。
この日は、雲一つない晴天

夕方まで雲を見ることが無かった。

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		<title>秋の夕暮れ</title>
		<description><![CDATA[秋の夕暮れは一際美しい。



日が暮れ、稜線の茜色も消えかけるとき、家々の窓に薄明かりが灯っていることに気が付く。
ふと、人恋しい自分に出会う。
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		<title>天響祭</title>
		<description><![CDATA[天響祭に友人が出演するので、雨上がりの明日香へと出掛けました。
和太鼓の演奏を披露する場としての天響祭で、友人のユニット｢TERPSICHORE」は異彩でした。

友人の夢に現れた神と踊り子、龍と霊力の物語を太鼓、横笛、声楽そして踊りで表現しています。

 
最後に踊り子の姿を借りた神は、この地で満たします。


明日香の地に相応しく、天と地の依り代としての芸能を感じました。
しかしこの友人、普段は大人く、エネルギーも強くは感じさせないのに、舞踏や太鼓をさせると、突然人が変わった見たいに、表現者としての身体になります。う～ん、やっぱり神の依り代なんでしょうね。
この神様が頭に着けているヘッドドレスは友人のpanaさんの渾身の手作り作品です。詳細は panaさんのブログをご覧下さい。
石牟礼道子に「祈るべき天と思えど天の病む」という歌があります。
天もまた、地の有り様によって、病んでしまう。
祈るべき天の病むことのないように、私たちもまた、祈らなければならないのかもしれません。
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		<link>http://plus-wan.com/blog/archives/180</link>
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		<title>浅い眠り、遠い目覚め</title>
		<description><![CDATA[私は長い時間、浅い眠りの中にいるような気がする。
 眠りの浅さに気づきながら、なお目覚めは遠のいていく。
もしかしたら生きるというのは、夢見ることなのかもしれない。

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		<title>秋の訪れ</title>
		<description><![CDATA[散歩の道すがら、秋の気配を写しました。
 



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		<link>http://plus-wan.com/blog/archives/172</link>
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		<title>あそぶ布　高木康子個展</title>
		<description><![CDATA[友人が奈良市内のギャラリーで個展を開いた。

布を織り、裂き、紡ぐ。
心の赴くままに、思うままに、思いを超えて。
彼女の作る作品は、エネルギーに溢れ、既成の形を超える。
その布を纏う人にも、既成の形を超える覚悟がいる。
萩が美しく咲く階段を登り、ギャラリーにの扉を開けると
その片隅に遠く大分に住む友人の気配を色濃く感じた。
自在という言葉は彼女のために在るのかもしれない。
表現が遊びなのか、遊びが表現なのか。
原初のピュアなエネルギーがある。

ライフギャラリーアン・ドゥ　http://web1.kcn.jp/undeux/は
奈良市帝塚山の閑静な住宅街にあります。
このアン・ドゥはオーナーがとても素敵です。
オーナーのセンスの良さが隅々にまで行き届いたギャラリーです。
私も表現するものがあるなら、是非このギャラリーでと思うことがあります。
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		<link>http://plus-wan.com/blog/archives/168</link>
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